ことばパティオ

第8回 「串刺し」に堪える語釈でなければならない

飯間 浩明(いいま ひろあき)

大学教員・『三省堂国語辞典』編集委員

2008年2月8日

 こんど出版された『三省堂国語辞典 第6版』では、私も編集の末席につらなりました。

 編集の作業中に、「今書いている項目が、もしかすると、将来は電子辞書の一部になるかもしれない」という思いがちらちらすることがありました。『三国(サンコク)』が電子辞書やウェブ辞書になるという具体的な話は聞いたことがありませんが、社会の成り行きからみて、いずれはそういう時代が来るだろうと思います。

 遠い将来か近い将来かはともかく、電子化されることを前提にした場合、辞書を作るうえでいっそう軽視できなくなることが1つあります。それは何かというと、人まねができなくなるということです。もう少し穏当に言えば、ほかの辞書と似た語釈ですませることがむずかしくなるということです。

 というのも、電子辞書やウェブ辞書では、「串刺し検索」などと言って、複数の辞書の同一項目を検索することができるからです。今に、あることばを検索すると、10冊ぐらいの辞書の語釈が1ページに並んで表示されるということも可能になるでしょう。串刺し検索がかんたんになれば、語釈をくふうしたかどうかは一目瞭然です。

 たとえば、俗語の「萌え」の語釈を書く場合を考えてみましょう。「萌え」は、『広辞苑』の第6版(最新版)が見送った項目です。報道によれば、〈「萌え」ということばは、使う人たちの範囲が狭く、解説できる専門家がいなかった〉ためとのことです(日本テレビ 2008.1.11 17:00)。一方、『三国』では、このことばは定着したと考え、採録を決めました。

 「萌え専門家」が『三国』の編集関係者にもいない以上は、その意味は、実際の用例から判断するのがまっとうな方法です。「萌え」「萌える」の用例は、新聞・雑誌から拾ったものが、私の手元に7例、編集部のデータベースに4例ありました(執筆時)。このように、まず文脈つきの実例をできるだけ採集するのが、昔から変わらない『三国』の作り方です。これだけでも語釈を決定することはできますが、さらに、ウェブ上で収集できるおびただしい用例を加え、語釈を吟味することになります。

 さて、その際、ウェブ百科事典の「ウィキペディア」をあわせて参考にするという方法が、選択肢としては考えられます。何しろ、「ウィキペディア」はサブカルチャーの説明が得意です。それを下敷きにすれば、『三国』の語釈も非の打ち所のないものになるではありませんか? しかし、実際には、その方法はとりませんでした。「萌え」「萌える」の語釈執筆には私も関わりましたが、もっぱら集まった用例に従って語釈を決めました。結局、「萌え」の語釈は〈かわいい少女などに、心が強くときめくこと。〉となりました。

 「ウィキペディア」のほうでは、「萌え」の記述は詳細です。まず〈オタク文化において、アニメ・漫画・ゲーム等様々な媒体における、対象への好意・傾倒・執着・興奮等のある種の感情を表す言葉〉と定義し、さらに詳しい考察が続きます(2008年1月末現在)。ためしに、これを縮めて、「〔アニメなどのファンが〕対象に好意・執着・興奮などの感情をもつこと」とすれば、辞書の説明として通るかもしれません。でも、それでは「ウィキペディア」の単なるコピーです。

 将来、「ウィキペディア」なども含めた多数の辞書が一発で串刺し検索されるようになれば、「A辞書の語釈は、B辞書のコピーだ」ということが容易に分かってしまうでしょう。まねをせずに書いたつもりでも、「ははあ、ここをこう変えて使っているな」などと、あらぬ疑いをかけられる場合も出てきそうです。ほかの辞書と似た語釈ですませられなくなるというのは、このような事態を思い浮かべるからです。辞書の語釈は、串刺し検索に堪えるものであるべきです。

 ほかの辞書と似ないようにするというのは、何も、わざと珍奇な、独善的な語釈をするということではありません。作為は不必要です。あることばが実際にどう使われているかについて、用例を広く集め、語釈を十分に吟味するという地道な作業が、辞書の独自性を生みます。これは、電子化されるかどうかにかかわらず、『三国』が誕生して以来、基本としてきた考え方でもあります。

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