ことばパティオ

連載「世界ことば巡り」 第9回(全12回)


連載 「世界ことば巡り」 西江雅之 第9回 ことばの遊び


   ことばは、人間同士が心情や意向を伝え合うためや、何事かを解決することを意図して議論をするためだけにあるのではない。

   たとえば、「おはよう」とか「さようなら」のような挨拶言葉は、相手に何かを伝えるというよりは、互いの人間関係をなめらかにするための潤滑油のような働きをしている。

   日常生活でのおしゃべりも、その内容よりは、ただ、しゃべっているという行為そのものが、話者の精神状態の安定に役立っている面が多い。「ことばの遊び」は、生活のゆとりとしても大きな役割を果たしているのである。

   まず、普通の言葉遣いで「内容を遊ぶ」という例はいくらでもある。冗談を言う。駄洒落(だじゃれ)を言う。他人をからかう。話題を茶化す。こうした例は普段の会話のなかにも多く見られる。

   「ことばそのものをいじって遊ぶ」例もある。その一例が「回文(かいぶん)」(英語ではpalindrome)で、「たけやぶやけた」のように前と後、どちらから読んでも「たけやぶやけた」となるというようなものだ。注意すべきは、回文は「逆に言ったならば」ではなくて、文字で書いたものを「逆に読んだならば」ということだ。「たけやぶ」を逆に言ったならば、「ぶやけた」にはならずに、「ubayekat」のように、日本語の標準語では発音しないような子音で終わる単語になることに気づくだろう。録音テープを逆に回してみれば分かる。「あそび」(asobi)という単語は、「いぼさ」(ibosa)となるのであって、「びそあ」(bisoa)にはならないということである。

Ekaki o oikake(絵描きを追いかけ) ” など、日本語は、ローマ字書きにしても回文はできる。英語の回文でも “ Madam. I'm Adam. (奥様、わたしはアダムです) ” とか “ Dog as a devil deified, lived as a god.(悪魔として崇められた犬が、神として生きた。) ” のようなものができる。

   いずれにせよ、回文は文字が使われていない言語には存在しないのである。

(2009年9月16日)
ことば巡り
ロンドンの下町には屋台が並び、人びとの会話が弾む。




西江 雅之(にしえ まさゆき) 1937年東京生まれ。専門は文化人類学・言語学。現在、アジア・アフリカ図書館館長。著書に『花のある遠景』(福武書店)、『伝説のアメリカン・ヒーロー』(岩波書店)、『「ことば」の課外授業―“ ハダシの学者”の言語学1週間』(洋泉社)、『異郷日記』(青土社)、『アフリカのことば』(河出書房新社)など。


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