ことばパティオ

連載 「世界ことば巡り」(全12回) 最終回


連載 「世界ことば巡り」 西江雅之 最終回 「ピジン語」と「クレオル語」


   絶滅の危機に瀕した言語に比べれば数が少ないとはいえ、新しく生まれてきた言語も少なからず存在する。

   人間の歴史は、民族移動、侵略、奴隷貿易、移民、交易、探検、迷い込みなど、各種の移動の歴史でもある。またそれは、互いに文法も単語も大きく異なる言語を話す人びとの、出会いの歴史でもあった。その接触のなかで、言語面では何も起きなかった例も沢山あるが、ある場合には新しい言語が形成されることがある。

  ピジン(pidgin)語、クレオル(creole)語などと呼ばれる言語は、その種の言語の多くを総称する呼びかたである。その形成過程は非常に複雑だが、基本的な流れは次のようになる。

   まず、文法も単語も非常に異なる言語を話す人びとが、ある程度の期間を通じて接触を続けるうちに、簡単な共通語を形成することがある。それは通常 “ピジン語” と呼ばれるもので、表現領域が限定的であると同時に、それを母語とする話者はいない。

   しかし、第一世代のピジン語話者の子や孫の世代になると、親が話すピジン語から、何でも表現可能な新しいひとつの言語 ― “クレオル語” ― を創り上げることがあるのだ。

   クレオル語は、話者にとっての母語となることが可能である。なお、個々のピジン語やクレオル語は、話されている土地によって、「ハイチ・クレオル語」「モリシャス・クレオル語」などといった呼ばれかたをすることが多い。

   ピジン語やクレオル語の多くは、基盤となった言語の崩れた形であると考えられることが普通であった。たとえば、カリブ海の国、ハイチで話されているハイチ・クレオル語は、奴隷貿易の時代に、植民者の側のフランス語と、アフリカ大陸から連れて来られた奴隷たちの多数の言語とが接触して形成されたもので、その話者は黒人奴隷たちであった。話者への人種的偏見も手伝って、最近まで、ハイチ・クレオル語はまともな言語としては認められてこなかった。ほかのピジン語、クレオル語の多くについても、同様のことが言えるだろう。

   何をもってひとつの言語として認めるか。最近まで、その判断の根拠についてさえ、人間は偏見から自由ではなかったのである。

(2009年10月26日)
ことば巡り
インド洋の小国、モリシャスの市場では、クレオル語の会話が飛び交う。




西江 雅之(にしえ まさゆき) 1937年東京生まれ。専門は文化人類学・言語学。現在、アジア・アフリカ図書館館長。著書に『花のある遠景』(福武書店)、『伝説のアメリカン・ヒーロー』(岩波書店)、『「ことば」の課外授業―“ ハダシの学者”の言語学1週間』(洋泉社)、『異郷日記』(青土社)、『アフリカのことば』(河出書房新社)など。


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